(パワプロ2022)再現選手 トロイ・ニール
今回初めてトロイ・ニール選手を作成してみました。
選手名 トロイ・ニール
再現年1996年 .274 32本塁打 111打点 1盗塁
パワナンバー 11200 80657 49702
選手としての特徴
1995年2月1日に「アスレチックスの4番打者」という触れ込みでオリックス・ブルーウェーブに入団。背番号「16」、契約金、年俸それぞれ1億円という破格の待遇で4番打者として活躍。同年は1本差で本塁打王を逃すものの、指名打者でベストナインに選出。
1996年には本塁打王と打点王を獲得し、オリックスの2連覇に貢献した。
長距離砲の少なかったオリックスにとっては貴重な存在だった。三振は多いがチャンスに強く、1996年の日本シリーズでも17打数3安打で打率.176の成績だったものの、放った3安打が全て2点タイムリーヒットで6打点をマークし、MVPに輝いた。野手の日本シリーズMVPで3安打・4塁打・打率.176・長打率.235は、2018年で甲斐拓也(福岡ソフトバンクホークス)が更新するまで史上最小値であった。この時のMVPインタビューの最後を締めた言葉は「がんばろう、神戸!」だった。
(Wikipedia引用)
査定
再現年度が二冠王ということもありチャンスBとパワーヒッター、1995年、1997年と再現年度の前後がリーグ最多三振と結構三振しているので、三振、後はその辺の記事の情報やイメージで決めました。
過去作はこちら
(パワプロ2022)再現選手 D・J(ダグ ジェニングス)
今回はD・J(ダグ・ジェニングス)選手を作成してみました。
選手名 ダグ・ジェニングス 登録名 D・J
パワナンバー 11000 60667 40177
再現年度 1995年 .266 16本塁打 47打点 2盗塁
選手としての特徴
1994年11月16日、NPBのオリックス・ブルーウェーブに入団。来日の理由について『週刊ベースボール』のインタビューで「区切りと考えていた30歳になったタイミングでオリックスから話が来たから」と明かしている。1995年開幕当初は不調だったが、新井宏昌打撃コーチと中西太ヘッドコーチの指導で変化球に対応できるようになると7月に打率.393と成績を伸ばし、12本塁打のトロイ・ニールを抑え月間MVPを獲得。8月も打率.337、8本塁打で2か月連続で月間MVPを獲得した。8月8日から9日にはプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打を放つ。この年、打率.266、16本塁打、60打点でチームの優勝に貢献。日本シリーズでも、チームが唯一勝利した第4戦で、延長12回表に伊東昭光から決勝ソロ本塁打を放った。
外野手登録であるが、日本では大半は一塁手として起用された。
外野手登録であるが、日本では大半は一塁手として起用された。中西太曰く、「守備は下手くそやったけど、勝負強かった」。
日本プロ野球史上初めて、姓名のイニシャルを登録名とした選手で、これは当時オリックス監督の仰木彬の発案による。「D・J」は小さい頃から家族や友達から呼ばれていた愛称で、新入団の年の春季キャンプで初対面したイチローから「本当にDJの人だと思った」と勘違いされた。当時西武にもニックネームが「D・J」のダリン・ジャクソンがいたが、「ライバル意識は?」という質問に対し「彼はD・Jで登録されていないんだろ。だったら特別意識はしないね」と答えている。
査定
Wikipediaの(中西太曰く、「守備は下手くそやったけど、勝負強かった」。)この部分からエラーとチャンスB
強振傾向が強いとの情報からなんとなくインコースヒッターとプルヒッターと三振
をつけてみました。
とにかく殊勲打が多いというイメージ後は登録めいが覚えやすいくらいと記録より記憶に残る助っ人
次回オリックス連覇時の4番
(パワプロ2022)再現選手 スコット・シェルドン
今回スコット・シェルドン選手を作成してみました
選手名 スコット・シェルドン 所属 オリックス(2002~2003)
再現年数2002年 成績 .256 26本塁打 59打点 4盗塁
パワナンバー 11200 20607 29492
選手としての特徴
2002年、オリックス・ブルーウェーブに入団。シーズン開幕当初はまったく振るっていなかったが、7月には5試合連続本塁打を放つなど、打率.390、9本塁打、19打点の活躍で月間MVPに輝いた。その後も、長打力を発揮し、チーム最多の26本の本塁打を放った。しかし、リーグ最多の155三振も喫していた上に、打率.256と粗さが目立ち、更に得点圏打率に至っては.168と非常に低く、打点も59にとどまっていて、主軸としての働きは物足りなかったことは否めなかった。2003年は打率.253、8本塁打24打点と低調に終わり、新加入のルーズベルト・ブラウンとホセ・オーティズが共に活躍したのもあり、出場機会も激減。結局、同年限りで退団した。
(Wikipedia引用)
査定
チャンスG 得点圏打率が.168と低く、打点も129試合出場で59と少なかったため。
三振 リーグ最多の155三振を喫している為。
他にも開幕当初まったく振るわなかったが7月に月刊MVPを獲得した事から調子極端と固め打ちを、強打の内野手という紹介から適当にプルヒッターを三塁手でエラーが多かったという情報からエラーを付けました。
今現在、2000年代のオリックス外国人を多数作成済みなのでしばらくはオリックス外国人が続くと思います。
危険物甲種取得の道 part2
さて、危険物甲種テキストを購入したのはいいのですが通販で購入したので届くのに時間がかかる訳です。
とりあえず甲種の問題がどんなものなのかが知りたいのでネットを利用して解いてみたのですが.....
結果、惨敗.....
法令はあと1問で合格だったので惜しくはあるのですが性質が20問中5問物理・化学に至っては2問正解とたまたま当たっただけという結果になりました。(´・ω・`)
まだまだ時間があるのでこれから勉強して合格していきたいと思います!
(パワプロ2022)選手再現 オリックス ビティエロ
今回は2001年のオリックスブルーウェーブに在籍していたビティエロ選手を作成してみました。
選手名 ジョー ビティエロ パワナンバー 11000 70646 92717
2001年度成績 .275 22本 83打点
選手としての特徴
2001年、イチロー移籍後の打線強化のため四番候補の期待をかけられオリックスブルーウェーブに入団した。キャンプ序盤から好調な打撃で「20本塁打 80打点ぐらい期待できる」と仰木彬監督に評価されていたが、両ひざに古傷を抱えオープン戦の時期から故障がちだった。
同年は開幕戦を含む100試合以上に指名打者としてスタメンで出場した。最終的にチーム2位の22本塁打、83打点をマークしたものの、ジョージ・アリアス との契約延長とフェルナンド・セギノールの獲得を目指すチーム方針から同年オフに戦力外となっている。
(Wikipedia引用)
査定
チャンスB 2001年の得点圏打率が.344と高かった為。
対左B 対右が.257に対し、対左が.361と左の方がかなり打っているため。
三振 2001年の三振数が125とまあまあ三振していたので。
ケガしにくさF オープン戦の時期から故障しがちと書かれていた為。
守備に関してはあまり情報が無く主にDHだった事もありGにしました。
今回、初めての再現で自分自身オリックスファンですので、とりあえず名前がパッと出てきたビティエロ選手を作成してみました(顔はあんまり似ていないですごめんなさい<m(__)m>)
次は シェルドン、ニール、D・Jのどれかを作成してみる予定です。
リクエストは随時募集していますのでコメント欄にお書きくださいよろしくお願いいたします。
危険物甲種取得の道 part1
さて、甲種の勉強についてですが自分は危険物乙種を全て合格している(合格談は後々に書きます)ので受験資格はあります。
とりあえず試験は例年通りだと11月にありますので、ざっくりですが4ヶ月勉強できる時間があるわけです。
勉強方法としましては最初はネットで勉強とも考えましたが、それでは不確かな情報が出てくることも無いので、今回はこちらのテキストを購入。
乙種の時にも公論出版さんのテキストを使い合格出来たので今回も公論出版さんのを使います。
甲種は色々と調べて行くとどうやら一筋縄ではいかないみたいなのでかなり勉強しないといけないみたいなので頑張ります!